QUEEN  クイーン

クイーンがデビューした時、イギリスのプレスによる評価は低かった。なんと言ってもオカマっぽいイメージがイギリスの音楽評論家の間では不評だったのだろう。それでも日本では人気が出るのには時間はかからなかった。まあそのほとんどが女性ファンだったのはやはり、けばけばしく華麗な(?)ルックスのおかげだった。三枚目のSHEER HEART ATTACK辺りからかなり完成度の高い作品を作っていたにもかかわらず、イギリスでは相変わらず評価は上がらなかった。その鬱憤を晴らすべくクイーンのメンバーは四枚目 A NIGHT AT THE OPERA のアルバムの制作に入る。

クイーンのメンバーはこのアルバムにものすごい意欲を注ぎ込んだはずだ。ロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースによるレコーディングではあのオペラティックなコーラスを完成させるために100回以上のオーヴァーダブが必要だったと言う。まだオープンリールのテープでやっとチャンネル数も24が主流だった時代、あの分厚いオペラティックなコーラスを繰り返しダビングしているうちにテープマシーンのヘッドが焼きついてしまったという逸話がある。しかも彼らはシンセサイザーを一切使わずに( The Game までだったが)あのサウンドを作り上げていたのだ。

このバンドを生で見たことはないのだが、正直レコーディング・バンドという見方でライブはつまらなそうだったからだ。フレディ・マーキュリーがエイズで死去した今、思うとちょっともったいない気がするが・・・・・。 A NIGHT AT THE OPERA の成功後、クイーンは世界中で大成功を収めた。アメリカでは BOHEMIAN RHAPSODY は大ヒットに至らなかったのだが、次のアルバムから WE'RE THE CHAMPIONS が初の一位になった。これは WE WILL ROCK YOU とのカップリングだったが今では
両方とも聞いたことのない人がいないくらいの有名な曲だ。スポーツ競技場でもおなじみのあの手拍子、足拍子の曲である。知らずのうちに誰もがクイーンの音楽を耳にしているのだ。

DEATH ON TWO LEGS (Dedicated to ...)     ’39

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