2011年3月11日という一つの原点 
Part 5
 

2011年9月11日〜9月13日

震災発生後半年となった9月11日、まっとを東京に招待し、代々木公園で行われたスリランカフェスティバルで歌ってもらう。その後、JICA地球広場で行われた「遠野まごころネット」の集会にも参加、更に彼を岩手まで送り届ける。YouTube Video はこちら
2011.9.11 代々木公園でインターネットTVの取材を受けるまっと 2011.9.11 JICA 地球広場で歌うまっと
2011年12月24日〜12月26日

遠野まごころネット主催「サンタが百人やってくる」プロジェクトに濱守栄子を連れて参加。陸前高田、大船渡における仮設住宅訪問。

2012年1月28日〜1月30日

再度、濱守栄子を東京から岩手まで運ぶ。遠野まごころネットを訪問し演奏。濱守栄子、ちゃりんこ等が出演する遠野みやもりホールでのコンサートの手伝い。さらに大船渡でも仮設住宅で演奏を手伝う。

2012年3月2日〜3月4日

三度、濱守栄子を東京から岩手まで運ぶ。陸前高田、大船渡の仮設住宅での演奏を手伝う。

2012年7月13日〜7月16日


陸前高田で行われたTAKATA FESTA 2012 の手伝い。まっと、濱守栄子らの地元出身アーティストに加え、白井貴子などのメジャーアーティストの出演するイベントの手伝いを行う。

以上、計11回の被災地訪問となったが、当初の3〜4か月はライフラインに関わるボランティアであったが、その後は音楽関連のボランティアに徹している。Rock Of Asia は海外で活躍する国際的なバンドであるが、2010年にアメリカツアーを行った後、震災関連のボランティアで活動が停滞してしまった。

しかしこの7月から再びライブ活動を再開、9月には大規模な野外フェスティバルに出演し、11月にはエジプト〜イスラエル〜パレスティナと回る中東ツアーを控えている。特にこのツアーは各国大使館や国際交流基金の協力を得て敢行する重要なものだ。

しかしそれでも、ボランティア活動を続けている。その理由が自分には明確にわかるのである。

16歳の時に体験した悲しみと後悔。そしてそれは弱い者を、何があっても助けなくてはならないという、私の徹底した信念を生んだ。長年、パレスティナの支援を続けているのも、その原点があるからだ。

パレスティナ大使や外交官とはもう長い付き合いだ。イスラエルのガザ爆撃の時も六本木の大規模なデモに参加した。その時は数千人が集まった。昨年(2011年)、5月にパレスティナ人が世界の支持者に呼びかけた。イスラエル大使館の前に集まってパレスティナ人の支持を訴えてください、と。

私もプラカードを作り、イスラエル大使館前に行った。何と、そこにいたのは私一人だった。いや、私とすれ違いで日本人が1人、エジプト人が2人、集まったらしいが・・・。

2011年は中東にとっても特別な年となった。民主化運動が起こり、リビアやエジプトでは独裁者が追放された。閃いた。そうだ、今こそ中東に行こう、と。

なんとそう思った2〜3週間後にカイロ大学の教授から電話が来た。今、来日していて、あるエジプト人を紹介したいと言う。彼に会ってお願いをした。エジプトで演奏をしたい、と。彼はすぐに承諾し、国際交流基金を紹介してくれた。そして2012年秋、中東ツアーが実現するのである。これまた奇跡的だ。何故、こんなに思った事が次から次へと実現してしまうのだろう・・・。

帰京するとテレビでは、いじめにあって自殺した高校生のニュースが流れていた。またか・・・。

どうしてもあの日を思い起こしてしまう。そして、自分の原点を振り返ってみて感じた事がある。もしかしたらY君が私の悲しみを癒すため、何かを動かしているのではないか?

ホームレスになり、もう死ぬしかないのか、と思ったのは10年ほど前だ。もう人の言う事を聞くのはやめて、自分の考えを貫こうと決心して以来、何もかもがうまくいった。まるで神がかりだった。しかし、神のおかげだとか奇跡だとか思っても、それはあくまで仮定にすぎない。

私は推測や仮定にすがる事はない。ただ思った通りに行動を起こす。自分の都合の良いように考えるだけではなく、行動を起こす。二度とあの日に味わった後悔だけはしたくない・・・・。一連の震災ボランティア活動を通じて、その原点を再認識できた。
 
2012年7月19日 Nikki Matsumoto
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