いよいよ来週からストリンドベリィ作「夢の劇」公演が始まる。私は高谷秀司氏と共に音楽を担当する。

英語のタイトルは A Dream Play だが、日本では夢の戯曲と呼ばれる場合もあるこの作品は、1902年に発表されている。脚本を読んでまず頭に浮かんだのがフロイトの「夢判断」だ。調べてみると「夢判断」の発表は1900年だった。ストリンドベリィのこの作品が「夢判断」に何らかの影響を受けたのは容易に想像できる。

「夢の劇」は表現主義戯曲の古典とも言われる。 表現主義とは、現実的に目に見えるものだけを重視していた当時の状況に反旗を掲げ、人間の感性や無意識に焦点を当てた芸術運動の一つである。19世紀の後半、イギリスで産業革命が起き、機械による大量生産が始まったわけだが、その19世紀から20世紀初頭にかけ、こうした表現主義、或いは超現実主義が芸術、心理学、哲学に広まっていったのは実に興味深い。

それはただの偶然だという人もいるかもしれない。しかし偶然は必然なのである。ユングの唱えた共時性(シンクロニシティ)を知る人なら理解できるだろう。

世の中には常に対比する2つの現象がある。男と女、光と闇、熱と冷、水と氷・・ありとあらゆるものは対比しながら成り立つ。悪が存在すから正義がある。存在があるから無がある。だから現実があるという事は、超現実も存在するという事なのである。超現実を説明するに当たって一番、分かり易いのは夢である。人は起きている間は現実だけを見るが、睡眠によって超現実の世界に引きずり込まれるのである。そこには時制が無い。自分が遠い昔、子供だった頃に戻っていたりするが、何故か携帯電話を持っていたり、時代が錯乱するのだ。

私の場合、音など聞こえるわけがないのに、はっきりと音楽が夢の中で流れていたりする。味もあり匂いもある。また、ありもしない人間関係、例えば実際には存在しない弟が出てきたりする。そうした夢で体験する非現実的な現象の一つ一つを分析したのがフロイトだ。そこに意識と無意識は、相対性を持っているという理論が成り立つ。

フロイトに影響を受けたダリは「記憶の固執」という絵を描いた。熱で溶けたチーズのような時計が描かれている、ダリの代名詞とも言えるあの絵だ。チーズは通常、固体であるが熱によって溶け、さらに時間の経過で熱が冷め、歪んだ状態になって固まる。

それを科学の頂点まで高めたのがアインシュタインだ。最初は誰もが彼の相対性理論を疑ったのである。理論だけで証明できない、ただの空論だという人は多かった。しかし核物質の融合によって核分裂が起き、それまで有り得なかった爆発力が引き出せる、と言う理論は原子力爆弾の開発によって証明された。それによって人々はアインシュタインが天才だった事を知ったのである。

1905年、アインシュタインが発表した特殊相対性理論は、時間概念さえも変えてしまった。光の速度を超える事ができたら、時間を遡る事も可能である、という理論だ。時間を止められるかもしれない、これはまさに超現実である。ダリのサーリアリズム、そのものなのである。

20世紀の初頭、様々な分野でこうした相対性理論が試された。今回、上演する「夢の劇」はその礎ともなっている作品とも言えるのだ。

そうして考えていくと実に興味深い。超現実なんて夢だけの世界、という人もいるかもしれない。しかし日本はかつて超現実が支配する国であった。1945年8月15日の正午に天皇陛下が人間宣言をするまで、日本国民は天皇は現人神であり、日本国民は神の子だと信じ込まされていたのだ。だから欧米列強と戦争をしても負けない、と言う恐ろしくでたらめな超現実主義に振り回され、そして相対性理論が生んだ原爆によって現実を知る事になった。皮肉であるが、それもシンクロニシティであり、必然的偶然なのである。

西洋では占星術はかなりの信ぴょう性を持って捉えられている。宇宙に存在する無数の星の動きが地球に影響を与え、人間一人一人の運勢を動かす。これもシンクロニシティである。占星術にはきちんとした理論があり、統計によって支えられた学問なのだ(発祥は古代バビロニアとされている)。

フロイトもユングも、研究を進めるうちにこうした超常現象やオカルト的現象にも注目し始める。例えばタロットカードにもその答えを求めた。深く入り込めば、深くなるほど現実と超現実の相対性に惹かれてゆくのだろう。

Nikki Matsumoto     2013/12/5

「夢の劇」