2011年3月11日という一つの原点
Part 3
 


PART3では311以降から行ってきたボランティア活動をまとめている。もうすぐRock Of Asia のライブ活動が再開し、11月には海外ツアーも控えている。ボランティア活動をやる事によって、どうしても音楽活動に支障をきたしている。頼まれると断れない、という性質ではあるが、そろそろ十分やったと自分に踏ん切りをつかせるためにも、こうして活動の記録を留めておきたい。

2011年3月.15日〜3月19日

3月11日の津波と自身が作曲したOcean がシンクロした。そして4日後の15日からスコットランド人の戦場カメラマンを自家用車に乗せ、東北へ向かった。

2011.3.17 宮城県南三陸町 2011.3.17 宮城県南三陸町
2011.3.18 岩手県陸前高田市 私立第一中学校 2011.3.18 岩手県陸前高田市
2011.3.18 大船渡市 国道45号線 2011.3.18 大船渡駅前

3月15日、新宿でカメラマンと会い、夕刻から宮城県仙台市、そして多賀城市に行く。16日は石巻周辺を回ったが、道が寸断されていてかなり迷う。カメラマンのカラムは世界の戦場を見てきた男で取材の目的地は大船渡だった。何故ならそこに米軍の艦船が来ていたからである。翌17日は南三陸町、そして岩手に入り陸前高田市へ。一度、一関に引き返し、翌18日に陸前高田、そして大船渡を回る。

しかし目的である米軍と出くわす事はなかった。これだけははっきりと言えるが、米軍は殆どこの期間、被災地では活動していない。ヘリコプターで物資を落とす事だけはやっていたが、上陸はしなかった。この件についてまとめたページがある。

この訪問時の映像はこちら

2011年3月.21日〜3月25日

自家用車が緊急車両登録が出来た事で被災地への出入りが自由になる。再度、被災地入りをRock Of Asia のバイオニストと決行。都内で物資を集めるのもひと苦労だった。飲料水は店頭から消えていたが、裏路地にある自販機ではまだ水が買えた。コインを入れ、ボトルを取り出す作業を数時間かけて行う。カイロを買いに行くと、購入は一人2個までだと言う。店長を呼び出し被災地に持って行くんだと説明しても、それでは特別に10個などと言われる。3月中旬を過ぎた東京でカイロが本当に必要なのだろうか?この人たちは日本人としての心を持っているのか?・・・・被災地では避難所で凍えている人がいるのである。

22日、福島県のいわき市で深刻な水不足と聞いて水を運ぶ。しかしすでに自衛隊がいたのですぐに撤退。東京では放射能漏れで大騒ぎしているのに、いわきでは平気でマスクもせずに自転車で町を走っている人がいる事にも驚いた。

2011.3.23 陸前高田市 私立第一中学校 2011.3.24 大船渡市役所

22日夜、多賀城に入る。そこから同じ道のりで北上、23日には陸前高田に到着。更に大船渡で物資を配り終え、Ocean のミュージックビデオを撮影する。

PART 4